黑猫寫眞館

黑猫寫眞館〔7〕

気付けば夕暮れが迫っていた。
今日は早々に店じまいし、二階の自室に戻った。
ベッドの隣の窓は換気に開け放しており、深い緑色のビロードのカーテンはしっかり括っていたが、日除けに淡い上品な黄緑色のレースのカーテンを掛けていた。
ベッドに上ると、暗く成りゆく街に日除けはもういいだろうとレースのカーテンをさっと手で開いた。途端、すうと涼しい風が吹き込んで来る。気持ちよさにふっと息を吐く。ベッドの上で座り直すと、開いたままの窓枠に背を凭せ掛け、ぼんやりと空を見上げた。
空の低い所は見事な茜色に染まり、空が高くなるにつれ徐々に深い色へと変わってゆく。
その天辺の切ない青をじっと見つめた。
「エース」
唐突に、少し遠くから聞こえた声にびくりと身を震わせた。
窓から身を出して下を覗くと、低い門の向こうに男が立っていた。
「……入れよ」
声は少し震えていたようにも思ったが、男は何も言わずにそのまま門を通り抜け玄関に向かう。
ベッドサイドのローテーブルには、いつも仕事道具である、馴染んだカメラが置いてある。
そっとそれを手に取ると、男に気付かれぬように静かにシャッターを切った。

すぐさま階下に降りて男を出迎えた。
写真館の仕事場を抜け、居住スペースにあるリビングに案内する。ダイニングの椅子に座るように奨めると、隣の台所に移動する。
少し迷った後、紅茶を淹れる事にした。
ゆっくりと、古めいた水色のケトルで湯を沸かし、白い磁器のポットにお茶の葉を入れ、湯を注ぎ蒸らす。サボに教えて貰った通りに丁寧に淹れながら、徐々に気持ちが落ち着いてゆくのを感じた。
「……どうぞ」
お盆に乗せて運んだ茶器を、ゆっくりと彼の目の前に差し出すと、ふわりと辺りがよい匂いに満ちた。
彼が意外そうな顔をしたのが解った。おそらく隠すつもりもない感情なのだろう。
向かいに座ると、自分の前に置いたお茶には手を付けず、彼に静かに問うた。
「……聞きたいことがある」
彼は茶を一口飲むと、ゆっくりとソーサーに戻した。茶器の擦れ合う音は少しもせず、ただ滑らかな所作だった。
彼は何も言いはしなかったが、真っすぐこちらを見る目を諾と取り、言葉を続ける。
「あの日、サボと会ったのか？あの屋敷で何をした？」
結局あれきりサボとは連絡が取れていない。心配しない筈はなかった。
「サッチから何も聞いてねえのかよい」
「盗賊団だってことは聞いたぜ」
「ふうん」
どこまでサッチという男から聞いたのだろうか。二人とも、タイプこそ違うが一筋縄では行かなそうな大人だとは思う。
「俺を……勧誘したいってことも」
そう付け加えると、彼が少し面白そうに笑った。
「へえ」
「……違うのか？」
「違わねえよい」
「じゃあ、どうして…………」
頭をぐるぐると疑問が回る。
彼は自分を誘わないのだろうか、いや、なぜそんな態度なのだろうか。サッチという男の言っていたことはすべて本当なのだろうか。会話の内容をマルコは聞いていないのだろうか。
疑問はたくさんあったけれど、彼の言葉を本当かどうか迷ってしまっている今、それらを聞く事に意味があるとはあまり思えなかった。
「じゃあどうして……俺とサボが友達だと解った？」
そう問うと彼が口の端を上げ、少し皮肉を込めたような笑顔を浮かべた。
その表情に思わず眉を寄せたが、彼はすうと口を開いた。
「別に、大した理由じゃねえさ。あの家の住人はいけすかねえ。ただ、最近帰って来たという息子だけは違う。おまえは悪いやつじゃない。寧ろ真っすぐだ。ならば、繋がりは自ずと知れるもんさ」
「……」
「なんだ、って思っただろい？でもよ、人っていうのはそんな簡単な事でも先入観に惑わされちゃあ、きちんと判断出来ねえってことだよい」
「……」
男の言葉は、正しいと思えた。
「納得したか？」
少し優しい口調でそう問われる。しぶしぶ少しだけ頷いてみせた。
手を伸ばし、少し冷め始めた茶に口をつけた。男はじっとこちらを見ているようだった。それを意識すると、なぜか少し指先が冷たい気がした。
「……お前を勧誘したいと思ったのは本当だよい」
男が静かに告げた。思わず顔を上げると、彼と目が合った。思ったよりもずっと真っ直ぐ此方を見ていた。
「あの日、あの家に赴いたのは、あの屋敷に隠されていたある品を頂くためだ。それは元々他人の物だったからだよい」
「…………」
不意に語られた内容を頭の中で反芻して飲み込む。
「誰も出てこなかったのは、眠って貰っていたからさ。だから誰にも会ってねえし、誰も殺しちゃいないよい」
それは、先ほどの問いのきちんとした答えだった。
そんなに滅茶苦茶な男ではないのかもしれない、と思った。