黑猫寫眞館

黑猫寫眞館〔2〕

ジャアジャアと音を立てて水が流れてゆく。
自宅兼職場の写真館に戻ったエースは、すぐに洗面所に向かい、勢いよくその蛇口を捻った。
勢いよく流れだす水でばしゃばしゃと顔を洗う。
口付けを、されてしまった。
思い出すと、わーっと叫びだしたい衝動にかられる。
ぎゅうっと力強く思いきり蛇口を閉めると、ぱたた、と水滴が落ちるに任せて部屋を横断する。棚の上に置いたタオルを手に取ると、ごしごしと顔を拭いた。
まだ、じんわりと男の唇の感触が残っているようだ、と思った。
ぶんぶんと頭を振るとずかずかと歩いて二階に向かう。華奢な作りの手すりの細工が美しい階段を乱暴に上がり、そのまま自室の扉を開くと勢いよく扉を閉め、ぼふんとベッドに身を投げた。
同じく豪奢な飾りが綺麗な曲線を描いているベッドは、幼なじみのサボが手に入れてきたものだ。
隣室の彼の部屋も、その向こう側になる弟ルフィの部屋も、同じベッドが置かれていた。
最も、粗忽なルフィのベッドの飾りは所々欠けてしまっていたが。それを思い出して少しだけ笑った。
そもそもこの写真館、兼自宅である建築物は、古めかしい建物であった。どっしりとした石の作りは所謂疑洋風というやつで、外観もあちこちに白い石の美しくも華奢な飾りがつけられ、邸内もあちらこちらに美しい装飾が見られた。
サボをそれを気に入り此処を購入したと言っていた。そして、その美しい室内の装飾に合わせて、美しい飾りの付けられた家具を揃えたと言う。
自分やルフィには若干不似合いな気もしたが、所謂育ちの良くキチンとしたサボには似合っていたと思う。
そんな彼の弟子として表立っては写真を嗜み、そして裏では皆で探偵業を営んでいた。頭が良く冷静な計画を立てられ、人辺りも良いサボがリーダーで頭となり、芸術には疎く体力勝負な自分には探偵の裏方が向いていたが、徐々に教えて貰った写真の楽しさも解るようになっていった。
ルフィは徐々に探偵の楽しさを覚え始めて。そうして、三人で上手くやっていけると思ったのに―――

サボは二十歳になったのを機に実家に連れ戻された。写真館はエースが留守を守るという形になっているが、戻って来れるかは不明。
ルフィは探偵業の楽しさを覚えたことから、十七の歳に仲間と独立することとなった。
ライバルだ、と言いながらも気持ち良く送り出してやった。

そうして、一人で居ることが多くなった。
俺ももう今年で二十歳だ。さみしくはない、と言い聞かせる。
だけれどそう言えば、人に触ること自体も久々であったと気付く。触ると言うか、あれは。
「わー！」
思わず思い出してしまい、そう喚くとぼふんと枕に顔を埋めた。じわじわと顔が熱い。
それでもぼんやりと、男の言葉を辿ってしまう。
『いずれまた逢えるさ』
確かにそう告げた。その言葉を聞いた時、確かに少し胸が高鳴った、と思ってから慌てて否定する。
「逢ってたまるか！」
誰も居はしなかったが、思わず大声でそう告げると、いや、と思い直す。
「いや、まてよ、逢って仕返しをしねえと……」
でも仕返しってどんな？と考え、そしてまた行為を思い出すとかっと顔を赤くした。
そもそも嫌じゃないって事が理解できない。自分が解らない。
「あー、もう……」
ごろりと仰向けになる。天井から吊るされた、白い陶器で出来た花の形を模した照明器具がふと目に入る。
照明は点けていなかったが、よい天気の今日は窓から差し込む光で室内は明るく、つるりとした磁器の表面に静かに窓の光を映し込んでいた。
あれもサボが可愛いだろう、と何処からか購入して来た物だと思い出す。花の照明器具なんて、と思ったけれど、嬉しそうなその様子に特には何も反論はしなかった。そうだ、サボなら、こんな悩みにもさらりと答えてくれそうな気がする。
「電話、するかな、でも……」
――ジリリリン
タイミングよく鳴り出した電話にどきりとする。階下にある、写真館に備えられた電話のベルだ。
少し逡巡して、しかし今朝の約束を果たされなかった事から、サボかもしれないと思い当たると慌てて階下に掛け出した。