in the dark





午後になると、サッチが部屋にやってきた。

コツコツとノックの音で目が覚める。続いて、サッチの声がした。
「エース、入るぜ?」
今までノックなんてほとんどされた事がないのに。不思議な気がした。
声に続いてがちゃりとドアが開いた音がして、彼が部屋に入って来たようだった。むくりと起き上がる。
「お、起きてたか、偉いな」
「なんだそれ」
彼の足音が近づいて来て、ベッドの脇がぎしりと軋む。ゆっくりと体を動かしてベッドから足を床につけた。
サッチも一緒に立ち上がったようで、すうと手を引いてくれた。
「じゃあ、とりあえず検査行くか」
「おう」
手を引かれたまま、廊下に出る。
「なあ、一人でも行けるぜ?」
「いや、手伝った方が早いだろ」
「うーん、まあ」
手を引かれて歩くのは、確かに自分一人で歩くよりもずっと早いと思う。だけれど。
「まあまあ、ちゃっちゃと終わらせて、マルコに会いに行こうぜ」
「……おう」
結局、明るい調子の彼に素直に従う事にした。だから、少し感じた不安には気付かないふりをした。


検査は特に問題も進展もなく、すんなりと終わった。
結果は昨日と同じ、引き続き経過観察、というやつだ。丁寧に巻きなおされた包帯の圧迫感には、まだ慣れそうになかった。
しばらくするとサッチがやって来て、ナースに礼を告げ、また手を引いてくれた。そのまま一緒に医務室を退出する。
すぐにもマルコの所に行くのかとそわそわしていたが、何故か一旦自室へと戻って来た。
不思議に思いながらもベッドに腰掛けると、サッチが少し改まった調子で問い掛けて来た。
「エース、マルコに会う前に、伝えたい事があるんだ」
目の前に立っているのだろう、少し高い位置からまっすぐ彼の声がした。
「……? なんだよ、改まって」
なるべく、その声の方に顔を向ける。
「……マルコなんだが、昨日の夕刻、自力で船に戻って来た。怪我はなく、念のため検査もされたが病気の兆候も見られなかった」
「……おう」
怪我がないのに検査とは、と思ったがその疑問は続けられた言葉で解決された。
「……だけど、ここ数年の記憶がねえ」
「……え?」
思わず問い返した自分に、彼は殊更ゆっくりと言葉を続けた。
「つまり、おまえの事を覚えてないと思って欲しい」
「……」
彼の言葉は、自分の様子を見ながら慎重に発せられてる音だった。だけれど、それがすんなりと頭に入って来ない。
「こっちも原因不明だ。一応調べてはいるが、いつ記憶が戻るか……定かじゃねえ」
「……」
「マルコには、おまえのことは伝えてある。記憶がない間の出来事も、なんとか出来るだけ伝えた」
サッチが言葉を慎重に選んでいるのが、伝わってくる。期待をさせないように、だけれど傷つけないように。だけれど現実感が薄く、そのやさしさはじわりと遠くで感じるようだった。
「本人は仕事に差し障りはない、と言ってよ。まあ、今は普通に働いてる」
「……」
それはマルコらしいな、とぼんやり思った。
曖昧に感じていた不安は、はっきりとした答えになって現れた。
それは、「なぜマルコは自分に会いに来ないのか?」という至極単純なものだった。
息を吸って、吐く。サッチが心配そうに告げた。
「大丈夫か?エース」
「……ああ」
そして、自分の事はおそらく「増えた隊員の一人」でしかないのだろうとも。