魔法使いと夜
翌日の朝、仕事に出掛けるばあちゃんを見送って、そして挨拶をしようとしたが、その言葉は遮られた。
「湿っぽいことは嫌いだよ。また何かあったら戻っておいで、バカ孫」
「……ありがとう、ばあちゃん」
ばあちゃんはそのままさっさと振り向かずに仕事に行ってしまった。
そして午後になり、帰る支度をしていると、部屋に籠っていたクリアが不意に現れた。
「あれ、クリアもう準備完璧じゃね? 早いな」
クリアは既にきっちり上着を着こんで荷物を持ち、そして顔には仮面が嵌められている。
彼はそのまま入り口のドアを開いて一歩踏み出した
「クリア、俺もうちょっと準備が……」
ぴたりと歩みを止めた彼が、ゆっくりとこちらを振り向く。
表は大層いい天気のようで、クリアの背後から日の光が差込み、彼の銀の髪を、輪郭を、明るく煌かせていた。
そして、その美しい様子に見とれていると、彼は静かな声で告げた。
「蒼葉さん、さようならです」
「え?」
その言葉の意味が掴めず、思わず彼を見返した。しかし、仮面の彼の表情は少しも解らなかった。
彼はそんな様子の俺をじっとみつめたまま、静かな声で続けた。
「僕と蒼葉さんは違います。それは蒼葉さんにもわかったでしょう?」
「クリア、でも俺は……」
「僕は人間が嫌いです。僕の正体を知ると、いつも酷い言葉を投げつけて、そして利用することばかり考える。おじいさんは、それを知っていたから、僕を人と合わせないようにしたのでしょう」
「……」
「蒼葉さんは嘘吐きです。この街に、蒼葉さんの居場所はたくさんあるじゃないですか」
「……」
「僕は、そういう人はきらい……です。僕はひとりがいいんです」
そう告げて彼が少し俯くと、髪が揺れて光を跳ねて煌いた。それはとても綺麗だった。先ほどの言葉がまるで嘘みたいで。本当に、彼の言葉なのだろうかと思うと、ただ胸が痛かった。
「クリア……仮面を、外してくれよ」
「嫌です」
シン、と冷たい声だった。
「……」
「僕はまた眠ります。どうかその邪魔をしないで下さい」
「クリア……」
「……もう、僕を呼ばないでください。僕もあなたを呼びません。もう二度と、お会いしません」
そうして、クリアは躊躇わずにくるりと踵を返すと、そのまま静かに去ってしまった。その背を、ただ呆然と見送った。
ぱたんと静かに閉じられたドアの前で、ずっとずっと立ち竦んでいた。
その日、夜に戻って来たばあちゃんは、俺の様子を見て特に何も言いはしなかった。
翌日からも、家にいるなら家の事をやっておくれ、とだけ言われたので、日中はなんとなく掃除や洗濯をして、そのままぼんやりとすごした。
その次の日、昼頃に誰か尋ねて来た。ドアを開けると、紅雀だった。
招きいれ、お茶を差し出す。
彼は暫く何事か、世間話をしてくれていたが、ふと真顔になって問うて来た。
「お前、ここに戻って来てくれて嬉しいけどよ……クリアは、いいのか?」
「……」
何も言わない俺に、彼はそれ以上何も問うことはしなかった。それは紅雀のやさしさだと解っていた。