魔法使いと夜



それは、夕方に屋根に上がって修理をしている時に、起きた。

夕方も過ぎて、もうすぐ暗くなろうという時間だった。屋根の修理をすると工具を持って屋根に上っていたクリアがなかなか戻らないことを心配して、庭に出てきた。
「クリアー! 大丈夫かー?」
高い屋根に向かって名を呼びかけると、彼がひょこっと顔を出した。
「あ、蒼葉さん。あともうちょっとです〜!」
彼が屋根から顔を半分覗かせた状態で、ひらひらと手を振って見せた。
「そうなのか? もう大分暗いし……俺も手伝うぜ?」
「えー、いいんですか?」
「おう!」
明るく返事を返すと、クリアを手伝うべく、梯子をゆっくりと上がっていく。三階の屋根は思いの他高く、クリアは上から覗き込んでは心配そうな顔をしている。その顔がなんだかおかしくて、少し笑ってしまう。順調に上り、あと少しという所で、突然強い風が吹いた。
ぐらりと揺れる梯子に慌てて屋根に手を伸ばす。同じく慌てて伸ばしてくれたのだろうクリアの手が、俺の手を掴んだ。だけれど梯子は無情にも屋根から離れていって、まだ両足を梯子に載せたままの俺は巻き込んではいけないとクリアの手を放そうとした。でもしっかり掴まれたそれは離れなくて、そのまま抱きしめられるように――落ちた。
落ちた、と思った瞬間、あっと言う間に地面に叩きつけられた。衝撃はあったが、息が止まったような感じがしただけで、どこも痛くはない。下が草なのが幸いしたのだろうか。そんなことを考えながら、ぎゅっとつぶっていた目を開いて驚いた。クリアの腕にしっかりと包まれていたからだ。庇ってくれたのだ、と気づく。では、衝撃が彼が全部引き受けてくれたのだろうか。見上げると、屋根が高い。どきりとして、少し身を起こすと、ずるりと彼の手が力なく体から離れた。そしてぐったりと地面に伏せた。そこから赤い液体がしたたる。
「クリア!?」
慌ててその名を呼ぶと、彼ははっとしたようで、そして右腕を後ろに隠すようにした。
「クリア、大丈夫か? ごめんな、えっと腕を怪我したのか?」
「……大丈夫です」
「大丈夫じゃねえよ、右腕見せてみろ」
「……」
少しうつむいて、ふるふると頭を左右に振るクリアに少し戸惑う。明らかに何かを隠している。もしかして、酷い怪我なのだろうか?
そう思うといてもたってもいられなくて、慌てて底腕を掴んで引っ張った。彼はまさかそんなことをされると思っていなかったようで、その腕はすんなりと目の前にさらされた。
目の当たりにした腕に、思わず言葉を失った。
痛々しく裂けてしまった皮膚からは赤い血は溢れてはいたが、その奥から、金属でできた機械らしきものが見えていた。
「クリア……この腕……」
ぽつりとつぶやくと、彼がぱっと頭を下げた。そしてまた、ぎゅっと右腕を後ろに隠そうとする。
「……ごめんなさい、蒼葉さん。嘘をつくつもりじゃなかった」
それは、小さい声だった。ただ、悲しそうだ、と思った。
「えっと……」
彼は下を向いていて、表情は伺えない。徐々に暗くなりゆく辺りに、ほんの少しだけ残った夕焼けだが、彼の銀色の髪で赤く跳ねて煌めいていた。
その銀色の頭と、腕を見比べているうちに、段々と気持ちが落ち着いてきたように思った。
幸いクリアは腕以外は酷く痛めているところはないようだ。それだけはよかったと思う。
「……とりあえず、中に入ろうぜ? 立てるか?」
そう告げると、ゆっくりと立ち上がって、クリアに手を差し伸べる。
彼ははっと顔を上げると、差し出した手と、俺の顔を交互に眺めた。
「……怖くないんですか?」
「え?」
「僕のことが」
「……怖くなんてないよ。とりあえず中に入ってからな」
「……」
彼は今度は真っ直ぐ俺の顔を見てこくりと頷くと、おそるおそる手を握ってくれた。



居間に戻ると、なんとなく見たような気がする場所を漁って、救急箱を持ってくる。
とりあえず腕の傷口を確かめると、赤い液体を濡れた布で拭いて綺麗にした。そしてそこにガーゼをあててテーピングして止める。その上から傷が見えないように包帯をくるくると巻いたが、彼がずっと困った顔をしていた。
「ん、これで大丈夫。服やぶれちゃったし、なんか新しいの持って来るか?」
「……蒼葉さん」
「おう」
「蒼葉さんは、なんで平気なんですか?」
「なんでって……」
「僕は、人間ではありません。作られた命なんですよ?」
「……それはわかったけどさ」
「……」
クリアが不安そうな顔をする。そりゃそうだよな、とは思う。
「俺さ、ばあちゃんがそういう研究……をしてたらしくて、色々聞いたことがあるし。そんなに驚かないよ、大丈夫だ」
ばあちゃんはそういう組織にいた、研究者だったと聞いている。そして俺のこの少し変わった声ともどうやら関わりがあるらしい、ということも。だけれど、ばあちゃんはそれらを決して話したがらない。だからよくは知らない。俺も、知らないふり、をしている。
「そう……なんですか」
「ん。でもとりあえず、そのままにはしとけないし……いつも直すのとかってどうしてんだ?」
「……おじいさんが、全部やってくれていたので……」
「そうなのか?」
「はい、僕のおじいさんは、蒼葉さんのおばあさまと同じかはわかりませんが、いわゆる研究者という職についていました。研究所では高い地位にいた方のようでしたが、できそこないの僕が処分されそうになった時、連れて逃げてくださった方なのです」
「……そう、だったのか」
「はい。おじいさんは、僕に生きていていいのだと言ってくださいました。僕は、おじいさんには感謝してもしきれません」
「……そっか」
「はい。だから僕はおじいさんが亡くなったあと、死ぬことは選ばず、長い眠りにつきました。それは永遠に続く眠りの筈でした。でも、僕はあなたの声で目覚めました。……なぜなのでしょうか」
「……俺の声で?」
「はい。とても不思議です。呼ばれている、と思いました」
「そっか……」
「あ、蒼葉さん、でも僕は、あなたにお会いできたことを、少しも後悔なんてしていないのですよ? ありがとうございます」
「礼なんて……」
「いいえ。本当に。あなたと一緒にいれることは、僕のしあわせですから」
「……ありがと」
「いいえ」
クリアが少し笑う。その笑顔を素直に嬉しく思った。
「えっと……とりあえず、その腕直さねえとな。明日にでも俺の育った街にいこうか」
「え? 街に……ですか?」
途端、表情の曇ったクリアに、言葉を続ける。
「うん。俺のばあちゃんがきっと直してくれると思うから」
「……でも、僕は」
「そのままには出来ないだろう?」
説得するように告げると、クリアは少し考えているようだった。
「……じゃあ」
「ん?」
「……じゃあ、蒼葉さんも、一緒に来てくれるのなら」
その真っ直ぐな目に、ひとりで行けなんて言えない。まあ、ひとりで行かせてもばあちゃんが不審に思うだろうし、そんなつもりもなかったのだが。
「うん、一緒に行くよ」
その言葉に、クリアはほっと笑った。