魔法使いと夜



その日は、朝からクリアと森に出かけた。
少し遠い森だったが、おいしいきのこが採れると聞いたからだ。その話は本当で、昼過ぎには籠にいっぱいのきのこがどっさりと採れて二人で嬉しくて笑いあった。
しかし行きも帰りもゆうに二時間は歩かねばならない距離で、話しながらゆっくり歩いたとはいえ、帰宅するとやはり少し疲れていた。

台所にきのこを置くと、クリアは休むまもなく夕食の準備をすると笑って言った。
手伝うと申し出たが、蒼葉さんはお疲れでしょうから、お部屋でお休みくださいとやんわりと断られた。
自室に戻ってなんとなくベッドに寝転んだが、まだ夕刻前だ。眠れるはずもなく、暫くすると階下に降りた。
幽かに、歌が聞こえた。
綺麗な声だな、と思ってなんとなくそちらに向かう。
台所ではクリアが料理をしながら歌っているようだった。
肉の下ごしらえをしているのか、鍋でぐつぐつと香草の入った湯が沸いているようだ。
近づくと、歌が鮮明に聞こえる。綺麗な声で、やさしい旋律を歌うのに胸がほっこりとした。
ふっと彼が足音に気付いたのか、歌うのをやめてこちらを振り向いた。
どきりとした。
彼の顔には、いつもの仮面が嵌められていなかった。

一瞬の間の後、彼が慌ててテーブルの仮面に手を伸ばす。
「待って!」
慌てて踏み出しその腕を掴んで、また彼の顔を見た。そして驚いた。彼は酷く泣きそうだ、と思った。
「クリア……?」
名を呼ぶと、彼はびくりとして慌てて仮面を顔に被せる。そして少し震える声で問うて来た。
「……蒼葉さん、怖くはないのですか?」
その問いに、なるべく慎重に答える。
「えっと、何がだ?」
クリアは少し考えているようだったが、すぐに答えをくれた。
「僕の顔、おじいさんに人に見せてはいけないのだときつく言われました……。僕は、人とは違うからだと。蒼葉さんは、僕の顔がおそろしくはないのですか」
「え……」
不安そうなクリアの言葉の断片に、彼の不安がどのようなものかうっすらと理解する。
「クリア」
なるべくやさしい声でその名前を呼ぶと、彼がはっとこちらを見た。
「大丈夫、おまえの顔、ちっとも怖くなんてないよ」
「……」
「仮面、少しでいいから、外してくれないか?」
その言葉をクリアはじっくりじっくりと考えているようだったが、暫くすると、すうと手を下げて仮面の奥からおずおず、と言った様子で赤く綺麗な瞳が現れた。仮面を下げたと言っても、それは口元辺りで止まっていて、じっと不安そうに眉を下げてこちらを見ている。しかし見える所のどこにも傷も痣もなく、つるりと綺麗なしろい肌と、無垢な瞳。そして何よりも――
「……ちゃんと、蒼葉さんと同じものがついていますか」
「うん、大丈夫。て言うか……クリアって、とっても綺麗だな」
それは心から告げた本心だったのだけれど。彼は黙って少しも不安そうな顔をやめてはくれなかった。
少し考えると、そっと静かに手を延べて、その頬にそっと触れた。てのひらが触れる瞬間、彼はびくっと震えたけれど、じっとしていてくれた。ただ、ガラスのような透き通った瞳がじっとこちらを見ていた。その目を合わせるとやんわりと笑って見せる。そして一言づつ大事にそっと告げた。
「……おまえの顔、俺はとってもすきだよ」
そう告げると、彼は少しはっとした顔をした後、少し頬を赤くしてもじもじして、そして漸くすこしだけ笑ってくれた。
とても綺麗な、見ほれるような笑顔だった。



夜、食卓についたクリアは、仮面をはずしていた。だけれどいつでもつけられるように、手元には置いてある。
たまに顔に手をやっては、少しはっとして俯いてしまう。そんな事が数度あった。ずっとつけていたのだ、やはり不安なのだろうと思う。
「クリア、無理しなくていいんだよ。辛いならつけていいんだよ」
「ありがとうございます。でも、その蒼葉さんの言葉に安心したので、大丈夫です」
その言葉に少し笑うと、クリアもまた、笑ってくれた。



翌日も、クリアは仮面をつけていないようだった。
昼食を食べた後、ソファに座ってお互い本を読んでいた。
だけれど彼が気になって。あまりじっとは見ないように、だけれど、ちらちらと彼の顔を伺う。
クリアは真剣な顔で本に視線を向けている。時折本をめくるぱらりと軽い音が響くだけの静かな部屋。
「……蒼葉さん、その本はお好みではなかったですか?」
不意にクリアに問われてどきりとする。
「いや……ごめんな、あんまり本とか読まないから。面白いと思うんだけど」
「そうですか」
「クリアは……本をよく読むのか?」
「はい、本を読むのはすきですよ。本は、僕の知らないことを教えてくれます」
その顔は本当に嬉しそうで、なんだかこちらも嬉しくなる。
「そっか」
「はい。お茶、淹れなおしましょうか?」
「いや、俺がするし。そんでもうちょっと本も読む」
「ご無理はなさらず」
「大丈夫、クリアのお勧めの本、読んでみたいし」
「そうですか、嬉しいです」
そうしてお茶を淹れて、また二人でじっくりと本を読んだ。