魔法使いと夜
その日は、街で噂に聞いた綺麗な湖に行きたいとクリアに提案してみた。
なんでも、すごく綺麗な色の湖が森の中にあって、ピクニックに行くのが流行っているらしい。
すごく綺麗だ、見る価値があると言われると、やっぱり気になるものだ。
その湖は山の上にあるらしく、急な山道を、ふたりでのんびりと歩いて行く。
楽しい方がいいだろうと、あちこちで寄り道をしながらのんびり歩く。途中、まだ残っていた林檎の木をみつけて、二人で食べてすっぱさに顔をしかめてみたり、綺麗な湧き水を飲んだりした。
森を抜けて草原を越えると、漸く開けた場所に出た、と思ったら、眼下にぱあっと視界が開けた。
遠く深い緑の木々の中に、見事な深い青緑の湖がぽかりと現れた。午後の明るい日の光を跳ねて、表面がキラキラと眩しく光っていた。
「すごい、綺麗だ」
「ほんとですね」
少し急な細い道を、その湖の方に降りてゆく。
ほどなく湖畔にたどり着いた。間近で見るその湖は、こぢんまりとしていたが、深い深い青緑の水を静かに湛えていた。
初めて見る、不思議な美しい水色だった。その美しさに、一瞬言葉を失って、ふたりでじっとそれを見つめた。
「……エメラルドグリーンって言うのかな。すげえ綺麗だな」
ぽつりとつぶやくと、クリアも大層感心したような声色で呟いた。
「ええ、不思議で綺麗な色ですね」
シン、と時が止まっているように静かだ、と思った。周りの木々も静かにそこにあり、つるりとした湖の表面に映りこんでいる。
そこにふっと小さな鳥の影が落ちた。それは湖を横切って、さあっと滑らかに移動して行く。
「あ」
思わず小さく呟くと、クリアもそれに気づいたようで、目で追っている。
なんだか不思議な気分だった。
ふたりで同じものを見て、同じものを感じているような。
でもそれがたまらなく嬉しかった。
昨日の疲れがあったのか、翌日目覚めると、いつもより遅い時間だった。
いつもは朝食の支度を手伝うのだが、全部クリアが用意してくれていた。
なので、今日の夕食は俺が作る、おいしいの作るから!とクリアに告げると、クリアは嬉しそうにしていたようだった。
だけれど、貯蔵庫を確かめるとあまり食材がない。
クリアはあるもので器用に料理を作るようだが、自分はそんなに料理が得意ではないため、あれこれ買い出しに行かないと、と思った。
なんとなく、クリアには食事を楽しみにして欲しくて、ひとりで行くことにした。ちょっと出かけてくる、とクリアに告げて外に出る。
まだ陽のある時間であったが、外はシンと寒かった。マントを羽織って着てきて正解だったなぁと思いながら、街に向かって足早に歩く。
街に着くと、昨日お邪魔した商店であれこれどっさりと食材を買い込んだ。この間のミオという少女はいなくて少し残念に思った。
荷物を持って店を出て、暫く街の道を行くと、小さな池があって子供が数人遊んでいた。
楽しげなその様をぼんやり眺めていると、子供が自分に気付いた。何事か囁き合って、そしてぱあっと解散する。
その様子に何か違和感を覚えた。しかしそのまま見守っていると、横を通った子供が不意に何かに躓いてぺたんと転んでしまった。
思わず手を伸べて助け起こす。
「大丈夫か?」
スカートの砂を払ってやる。怪我はなさそうでよかった、と思いながらそう問うと、その女の子はびっくりしたような顔でこちらを見上げた。
その子は遊んでいた子らの中では少し幼いようで、まだ三〜四歳の少女と言ったところか。くるくるとした丸い大きな目をしている。
「……」
「怪我はないよな? 気をつけて帰れよ?」
少女がこくりと頷くと、ぱっとまた顔を上げた。そして小さな声で躊躇いがちに告げた。
「……お兄ちゃんは」
「ん?」
すうっとしゃがむと、小さく告げられた少女の言葉を聞き返す。
「お兄ちゃんは、魔女なの?」
「……え?」
告げられた言葉の意味が飲み込めず、思わず少女を見返したが、少女も困ったように見つめてくるばかりだった。
「おい! 何してる!」
声に振り向くと、目の前の少女より、少し大きな男の子がそこにいた。
その子が少女の名を呼んだ。どうやらこの二人は兄弟のようだ。
「いや、何もしてねえよ。なんかよくわかんねえこと言われたから、聞いてただけだ」
素直に言葉を返すと、男の子が少女をかばう様にたつ。
「魔女なの?って言ったの」
少女がそう告げると、男の子が自分に向き直った。
「おまえ、あの屋敷に住んでるんだろ? うわさになってる」
「え? そうなのか? まあ、住んでるけど……」
「あそこに住んでる奴と仲良くしてんだろ?じゃあ魔女……って言うか、お前は男だから魔法使いだ」
「はあ?」
辺鄙な場所に住んでいるから、魔女とか言うんだろうか、と考えていると、男の子がむっと突っかかってくる。
「ほんとだぞ! あそこにはお役人も近づかないって話を大人がしてたぞ! みんなあそこに文句言いに言っても、何もしないで帰ってくる、あれは悪い魔法を使う魔女が住んでる、って言われてるんだ!」
「なんだそれ」
思わず素直に告げたが、子供たちは手を取ると、ぱっと走り去ってしまった。
なんとなく、納得行かない気持ちで家に戻る。
魔女ってなんだろう。やはりそれはクリアのことなんだろうか。辺鄙な場所に住んでいる故の、勝手な噂なのだろうとは思う。よくある事だ。
でも少しだけ、引っかかる。俺の事を魔法使いだと言うのなら、彼を魔女と呼ぶのはおかしい気もした。
しばらくぐるぐると考えてはいたが、それは結論が出ることではなく、頭をぶんぶんと振って思考を霧散させると、気を取り直して家に入った。
「ただいまー」
そう告げて扉を閉めると、クリアが奥から早足で出てきた。
「蒼葉さん、遅かったですね」
「ああ、ごめんな! 心配させちゃったか? でも、街でたくさんあれこれ買ってきたから、晩飯たのしみにしてろよ!」
そう言って手にした袋を見せると、彼は少し驚いた顔をした後、少し笑ってくれたようだった。