魔法使いと夜



午後からクリアと買い物に出かけることになったので、一旦部屋に戻り用意をすることになった。
一緒に二階への階段を歩きながらそういえばとふと問うと、クリアの部屋は俺の泊まっている部屋の向かいの部屋だと教えてくれた。なんとなくほっとする。そして、一階は台所や風呂や応接室など機能的な部屋で占められており、三階は邸内が広くて手が回らないため物置でほとんど使っていないと教えて貰った。確かに、一人で暮らすには一、二階だけでも十分な広さだろうと思う。
廊下でクリアと別れて部屋に入る。とは言っても大した着替えも持っていないので、とりあえず上着の外套を羽織ると、邪魔な髪は括ってまとめ、あとは鞄を手に部屋を出た。
下に降りるとクリアは既に降りて来ていたようで、振り向くと、少し首を傾げて見せた。
「あ、蒼葉さん、もう準備はいいんですか?」
クリアもシャツにパンツといういつも通りの姿に、薄手の外套を羽織り、皮の大きめのバッグを斜めがけにしている姿だった。しかし問題はそこではない。何よりも、気になるのが。
「クリア、えっと……出かける時もその仮面なのか?」
「はい、これはずっと外してはいけないと、おじいさんに言われているんです」
「そう……なのか?」
「はい」
「……」
少し考えていると、明るくじゃあお出かけしましょうか、と彼が告げたので、頷くだけに留めて一緒に表に出る。
表は明るくとてもよい天気だった。冬に近づいているらしき、シンと冷たい風が頬をひんやりと撫でて行く。吸い込むと、肺まですっきりと冷たい空気が満たされるようで、寒いけれど頭がすっきりするような心持だった。見上げると薄く青い空には細い雲が見えた。草原の続くのどかな道を歩きながら、なんとなくゆっくり散歩したいような気持ちになる。しかしクリアの足取りは早い。
「クリア、結構歩くのか?」
「はい、そうですね……一時間くらいはかかるかと」
「そんなに遠いのか」
「すみません」
彼がすまなそうにそう告げる。
「いや、謝ることじゃねーし」
「……はい」
その後もあれこれ無難な話をしながら歩き続けたが、やはりクリアの家は村の集落からは明らかに外れているようで、足早に三十分以上歩いて少し高い丘のようなところに来ると、漸く遠くにぽつぽつと民家の赤やら茶色やらのかわいらしい屋根がちらちらと見えた。
足早に歩くクリアの様子は、なんだか少しおかしい気がする。だけれどそれにどう触れていいか解らず、少しづつ話ながら並んで道を歩いた。クリアの短い説明によると、暫く行ったところに小さな商店があって、大抵の食べ物はそこで揃うとのことだった。早く歩いたおかげか、一時間もかからないうちにちんまりとしたアンティークな丸い看板の掛けられた、赤い屋根の小さなお店が見えて来た。
お店は入り口が広く、明るく入りやすい雰囲気で、奥が住居になっているようだった。裏にちらりと牛や鶏などがいるのも見える。
その入り口に立つと、不意に少女の声が響いた。
「クリア! ずっと見ないからどうしたのかと思ってたのよ!」
「ミオさん、こんにちは」
クリアがしゃがんで少女に挨拶した。すると、少女の頬がみるみる赤くなった。
「ミオさん、蒼葉さんですよ」
「どうも」
会釈してみたが、少女の視線はクリアに注がれたままだった。
「……こいつ、誰よ」
「この人は、僕の大事なお客さまですよ」
「……だいじ、なの?」
「はい」
おそらくクリアの言葉に他意はないだろうと思えたが、しかし明らかに戸惑っている様子の声に、もしかして、と思う。
「はい。だから彼のための食べ物を買いに来たんです」
「……知らないわ」
「ミオさん?」
「おかあさんに頼んだらいいじゃない!」
少女は、それだけ告げるとぷいっと顔を背けた。そして走って店の奥に消える。奥で何事か少女の声が漏れ聞こえた。そしてすぐに、奥から落ち着いた雰囲気の女性が現れる。おそらく少女の母親だろうと思えた。
「クリアさん、お久しぶりです。ミオが騒がしくしたみたいで、ごめんなさいね」
女性は近づくと、申し訳なさそうにクリアに告げる。
「いいえ、大丈夫です。えっと、鶏肉と野菜と、牛乳ありますか?」
「はい、ちょっと待ってくださいね」
女性が貯蔵庫らしき扉に消えると、すぐさま包みと白いミルクが満たされた少し大きめの壜を持って現れた。
「二人ぶんで大丈夫かしら?」
「はい、ありがとうございます」
「野菜はいつも通りに何種類か入れておくわね」
「お願いします」
女性は手際よく肉を切り分け、ミルクを小瓶に分けてくれた。
「久しぶりだし、少しおまけするわね」
女性が笑ってそう告げる。
「いつも親切に、ありがとうございます」
女性がそれらをてきぱきと袋にまとめると手渡してくれた。
クリアが鞄からぺらりとした明るい色の皮の小銭入れを取り出す。そしてそこから銀貨を取り出して女性に差し出した。品物に対して少し安いような気がしたが、女性は笑顔でそれを受け取った。
「いいのよ、もっとちょこちょこいらっしゃいな。前みたいにお手伝いもお願いしたいし、ミオも喜ぶわ」
「はい? ミオさんが?」
「ええ」
「そうですか、わかりました」
女性はにっこりと笑ったが、クリアはそれに少し不思議そうな響きで答えた。
なんとなくそのやり取りに、クリアは少しも解っていないんだろうなぁと思った。