なんども、なんどでも。




一緒に住みたいと伝えたら、クリアは綺麗に笑ってくれた。


「蒼葉さん、晩御飯は何が食べたいですか〜?」
今日は早めのシフトだったため、夕方仕事を終えて玄関をくぐった俺を、クリアが笑顔で出迎えてくれた。
「何でもいいよ、クリアのメシなんでもうまいし」
「それじゃ困ります〜」
「んー、じゃあ、肉じゃが!」
「はい、肉じゃがですね」
クリアが楽しそうに台所へ戻っていくのを見送って、部屋に荷物を置きに階段を上がる。
俺の家で、俺とばあちゃんとクリアの三人で暮らし始めてからと言うもの、クリアは毎朝早く起きては掃除洗濯、朝食の準備、庭の水撒きお買い物と、毎日慌しく朝から晩まで働いてる日々が続いているようだった。
とても忙しそうだけれどそれでも楽しそうなクリアの様子に、俺は多少心配しながらもとりあえず暫くは様子を見る感じでいた。



今日も朝からどこかに出掛けたのだろうか、目覚めた時にはクリアはもういなかった。
ちらりと枕もとのコイルに目をやると、まだ起きるには少し早い時間だった。
ばあちゃんは今日は早朝から用事があると言っていたからもう出掛けたのだろうか。家の中はシンとしていて、物音一つ聞こえない。
「……クリア?」
思わず小さくみたが返事はない。
なんとなくがらりと窓を開けると、むわりとした熱気が室内に入り込む。それと同時に目に映ったのは屋根の隙間の切り取られたように鮮やかな、夏の空の青さ。なんとなく少し眺めて。だけれどどこにも彼の気配はない事に少しため息をついて窓を閉めた。そのまま階下に降りる。だがやはりそこにも彼の気配はなく、散歩にでも行っているのだろうか、と思いながら洗面所に行き顔を洗っていると、ガチャガチャとドアを開ける音に続いて、玄関から、ただいまです〜とクリアの声が響いた。少しほっとする。
そして、タオルで顔の水滴を拭いながら玄関に向かった。
「おかえり、クリア」
「蒼葉さん、ただいまです!」
クリアは靴を脱いで玄関に上がったところだった。俺の姿を見るとにこにこと笑ってあいさつを返す。外に行ってたからだろう、手にはガスマスクとビニール袋を持っている。コンビニにでも行っていたのだろうかと問う。
「クリア、どこか行ってたのか?」
「はい! 今日は畑にきゅうりとトマトとサラダ菜を採りに行っていたんですよー」
クリアは明るく笑って、手にしたビニール袋を開いて見せた。そこには赤くよく熟れたトマトと、まだ瑞々しい様子のきゅうりと、あとよくわからない野菜が数種類入っていた。
「畑って……そんなのあるのか?」
「ええ、昔住んでいたおうちの裏ですが、また手入れをして野菜を育てているんです」
「昔の家って……遠くて大変だろ?」
「いえ、蒼葉さんが喜んでくれるのなら!」
「……」
少し困って黙ってしまったが、クリアは明るく続ける。
「タエさんもおいしいっていってくれるんですよ?」
「そうか……まあ無理はすんなよ」
「はい! 大丈夫です〜」
そう告げてクリアはまた明るく笑った。
「じゃあ、これ洗って朝ごはんにしますね」
「うん、楽しみだ」
その日のサラダは、とても美味しかった。



翌日の朝もまた、目覚めたときにはクリアはいなかった。
「クリアー?」
「はーい! 蒼葉さん!」
表からクリアの元気な声が聞こえた。つっかけを引っ掛けて玄関のドアを開くと、クリアがバケツとひしゃくを片手に、にこにこと手を振っていた。
「水を撒いていたんですよ。こうすると涼しくなると近所のおばさまにお聞きしたんです」
不思議そうな顔をしたのがわかったのだろうか。クリアはさらりとそう告げた。
「……クリア、たまにはゆっくり寝ててもいいんだぞ?」
「いえ、働くのはすきなので大丈夫ですよ」
「でも……」
「ほら、蒼葉さん、そろそろ仕事に行く準備をしなくちゃです!」
「ああ、ほんとだ」
「朝ごはんの用意しますね」
クリアにさあさあと背中を押されて一緒に玄関をくぐった。
クリアはバケツを片手に洗面所の方に向かう、と置いて来たらしく、またすぐに現れた。そして今度は台所に向かう。
「蒼葉さん、顔洗って来てください?そうじゃないとゴハン出しませんよ〜」
「わかった、すぐ洗ってくるよ」
「はい、いい子です」
笑顔のクリアに合わせて少し笑うと、洗面所に向かった。



夜も、夕食後にもクリアは何事か台所でぱたぱたしていた。
ひょいっと覗くと、フライパンを片手に料理をしているようだった。こんな時間に?と思い声を掛ける。
「クリアー、何してんだ?」
「あ、蒼葉さん。明日の朝ごはんの準備ですよ。明日はタエさんも早いし、今のうちに用意しておこうかと」
そう告げると、またフライパンに向かう。ジュウ、という音がして、よい匂いが辺りに漂う。
近づくと、後ろからそっと覗いた。魚のムニエルのような感じだ。
「えっとクリア、いろいろしてくれんのありがたいけど、たまには本を読んだりテレビ見たりしていいんだぜ?」
朝から晩まで、家の用事であまりに忙しそうなクリアに、自分の時間はあるのかと心配になってしまう。
「テレビですか……?」
フライパンの魚が焼けたらしく、コンロの隣に用意されていたお皿にフライ返してそっと移す。湯気の上がるそれは、綺麗な焦げ目がついていて美味しそうに見えた。
「うん、好きじゃないのか?」
「いえ、蒼葉さんも一緒、ですか?」
「え?」
クリアがじっとこちらを見ている。そういえば、最近ゆっくり話す時間もあんまりなかったよなあと思うと、一緒にテレビを見るのも悪くないかもしれない。そうすれば、クリアもゆっくりできるだろうし。
そう思うと自分も少し楽しい気持ちになった。
「おお、いいぜ、明日もあるからあんまり長時間は無理だけど、寝るまで一緒にテレビ見ようぜ」
「はい!」
嬉しそうなクリアの様子に、なんとなく手をつなぐと、その夜は一緒にテレビをみてあれこれ言い合って楽しんだ。



翌日、仕事中に珍しくばあちゃんから連絡があった。
そしてクリアが屋根から落ちたと聞いて、心臓が止まるかと思った
ばあちゃんの目の前で落ちたので、おかしいと思い問いただした所、今までこのような事が数度あった事を隠していたと言う。外傷はなく、おそらく大したことはないが、この機会にちょっと検査をしておくからと説明された。
俺もすぐに行くと主張したが、命に別状があるわけじゃないという事と、来ても何も出来る事がない、と説得されて、仕事が終わる頃には自宅に戻っているだろうからまっすぐ帰っておいでと言われた。
迷ったが、了承するしかなかった。
通話を終了して、なんとなくコイルを眺める。
「……どうした、蒼葉」
「いや、なんでもないよ、蓮」
「タエもああ言っているし、クリアは大丈夫だと思うぞ」
「うん、わかってるよ、ありがとう蓮」
クリアはきっと大丈夫だと思う。ばあちゃんも必死な俺に呆れた様子だったくらいだし。
だけれど。クリアをこの手で直したいと思ってしまった。あの時も、いまも。
それは俺の技術では叶わないこともわかっているけれど。あの時の事を思い出すと、いまでもやはり胸が痛くなる。クリアはきっと心配するだろうから、絶対悟られてはいけないけれど。



その日は、うっかり少しだけ事情を話してしまった芳賀さんが心配してくれて、いつもよりも早めに帰宅することが出来た。
家までの道のりを早足で帰る。コイルにはなんの連絡もなくて、きっと何事もないのだろうとわかっていたけれど。それでも家の玄関が見えて来て、そこに明かりがついているのを見るとほっとした。
「ただいまー」
「おかえり、蒼葉。なんだい、早かったね?」
「ん」
ばあちゃんが出迎えてくれた。質問には曖昧に返す。
「クリアは?」
「上にいるよ。検査の結果は問題なかったけど、今日は大人しくしているようにと強く言ったからね。部屋で本でも読んでいるようだ」
「そう」
「蒼葉、あの子はちょっと働きすぎだよ。もうちょっと休むように言ってやんな。あたしが言ってもききやしない」
「ごめんな、ばあちゃん」
「おまえが悪いんじゃない。あの子もいい子だよ。ちょっと……頑固だけどね」
「そうだね」
少し困ったように笑ったばあちゃんに、少し笑って見せて、二階に上がる。
部屋のドアを開くと、足音で解っていたのだろう、クリアが床で本を手にしたまま、こちらを見てにこっと笑った。
「おかえりなさい、蒼葉さん」
「ただいま……クリア、屋根から落ちたって?」
「はい、屋根のトタンが脆くなっていた所を踏んでしまったみたいで……」
少ししょんぼりと眉をさげて情けなそうな顔でそう告げる。
かばんを床に置くと、上着をかけて、そしていいつけ通りおとなしく座っているクリアの前に座る。
「なんでまた屋根なんかに?」
「はい、畑にイチゴを採りに行こうと思いまして」
「……イチゴ?」
「蒼葉さんが昨日、テレビでやってたイチゴのシャーベットを食べてみたいといっていたので、僕作ろうと思って……」
「どうして、そんなの買ったらいいじゃないか」
「作ったほうがおいしいですよ。蒼葉さん、僕の料理が好きだと言ってくれるし」
「そんな、無理しなくていいんだ」
「無理じゃないですよ」
「クリア、俺はもっとお前には好きにしてほしいんだよ」
そう告げると、クリアは悲しそうな顔をした。
「蒼葉さんは、僕があれこれするのは迷惑ですか?」
「迷惑じゃないよ、でもおまえだってやりたいこととか、行きたいとことか、あるだろ?」
「行きたいとこ?」
「ああ、自由に出かけていいんだよ」
「……」
そう告げると、クリアはちょっと考えているようだった。
「……でも、僕は、蒼葉さんのお役に立ちたいんです」
そう呟いたクリアの目があんまり必死に見えて、思わず顔を覗き込む。
「……クリア、なんでそんな?」
そう問うと、クリアはきゅっと眉を寄せて、少し泣きそうな顔をした。
「僕は、たくさんたくさん、もっともっと蒼葉さんのお役に立ちますから。だから……」
クリアの目が痛いくらいまっすぐ、必死に俺を見上げて来た。
「クリア?」
「だから……ずっと蒼葉さんの傍にいてもいいでしょう?」
「……!」
その言葉に、どきりとした。
そして漸く、クリアの心の内に気付く。
「……だめですか?」
その目を見つめて、そしてゆっくりと息を吐いた。
「……ばかだなぁ、クリア」
そして手を伸べて、その不安そうな顔をしたクリアの頭をそっと触れた。
触れる瞬間、クリアは一瞬びくりと体を固くしたけれど、すぐにふっと力を抜いて為されるがままに俺のてのひらに撫でられる。
「クリア」
「はい」
「クリアはそのままでいいんだよ、ずっとそばにいていいんだよ」
「……はい!」
なるべく丁寧に告げたその言葉に、クリアは笑ってくれた。

それでも。
きっとすぐには納得できないんだろうなってことは、もうわかってる。
まっすぐで、真面目で、だけれどちょっと頑固なクリアだから。

だから、何度も何度でも、クリアが納得できるまで繰り返し言ってあげる。