きみがすき




喧嘩の理由は、ささいなものだったように思う。
だけれど、そのまま急な偵察任務で一週間出かけて、戻って来ると彼はすっかり拗ねてしまったようだった。
夜遅い時間ではあるが、いつもなら何時だろうとまっ先に出迎えに来るのだが、甲板に集まった船員の中に彼の姿は見えない。
労ってくれる隊の部下たちを軽くあしらって、食堂に向かったが、そこにも彼の姿は見えなかった。
「よお、マルコ。お姫さんいねえじゃん」
サッチが声をかけてくる。
彼がここにいたら、まっ先に姫じゃねえし!と真っ赤になって怒るとこだろうと思う。
だけれど彼の姿はない。
「おまえ、恋人だからって大事にしねえと取られるぞ?」
「…誰にだ?」
そう返すと、彼は肩を竦めて見せた。
「…冗談にそんな顔するくらいなら、もっと大事にしろってこった!」
そんな顔ってどんな、と思ったが、マルコを追い掛け、どやどやとやってきた隊の部下達に、それ以上何も言えなかった。




急な偵察に出向く前夜のことだった。

「おまえにはもう付き合いきれねえ」
自分の部屋のベッドに座る彼に、呆れたようにそう告げると、彼がかっと顔を赤くする。
「俺がそんな悪いって言うのかよ!」
彼はその若さゆえか、それとも生い立ちからか、なかなかに素直とは言い難い部分がある。
「悪いなんて言ってねえが、ガキだとは思うよい」
「ガキじゃねえ!」
「ガキだろ」
にべもなくそう告げると、彼がぎゅっと手を握ったのが目に入った。
「そのガキとつきあってんのは誰だ!」
そう怒鳴る彼に内心うんざりとする。
「…じゃあ、やめるか?」
「―…」
思わず表情をなくした彼に、はっとした。そして言いすぎた、と気付く。
「…エース」
彼は顔を伏せたまま、ぱっと立ち上がるとドアを開けて走り去ってしまった。
バタン、と大きな音を立ててドアが閉まった後、シン、と静寂が訪れた。

彼はいつも、あんなにも嫌われることを恐れていたというのに。
解っていて素直に追いかけられなかったのは、自分の変なプライドだということも、解っていた。




食堂でそのまま、帰還祝いと称した隊の奴らの盃を受け、頃合いを見計らって抜け出した。
そのままオヤジの所に出向き、一通り報告を済ますと、すっかり夜も遅くなっていた。
少し迷ったが、早い方がいいのは解っている。ふっと息を吐くと、廊下を彼の部屋に向かった。

ノックしたが、返事はない。
ドアノブを回すと、鍵はかかっていなかったようで、するりと開いた。
「…」
ベッドに近づくと、横になって眠っていると思っていた彼は、目を開けてこちらを見た。
「なんだよ」
そしてごろりと寝がえりと打って背を向けた。
少し溜息を吐くと、ベッドに近寄りギシリと腰かけた。
「エース」
「…別れたんじゃねえのかよ」
拗ねたような物言いに先ほどまで任務に出ていた疲れも重なり、反省も忘れて思わずむっとする。
「可愛くねえな」
そう冷たく言い捨てると、彼ががばっと起き上がる。
「可愛くなんてねえよ!男だ!」
「そういうとこが可愛くねえんだよ」
「マルコはオッサンのくせに血気盛んだよな!」
「ガキに言われてもな」
「ガキじゃねえ!」
そう怒鳴ってばっと距離を詰める彼を、適当にいなすと、重くため息が漏れた。
このまま言い争っていても、解決は程遠そうだ。
出直すかと思い、立ち上がり踵を返すと、背中に彼の声が飛んだ。
「逃げんのかよ!」
元々気が長い方ではない。その物言いに、内心苛立った。
「うるせえガキだな」
首だけで振り向き、覇気を押さえずそう告げると、彼は一瞬怯んだが、すぐにまた怒鳴った。
「もう二度とくんな!顔も見たくねえ!」
くるりと彼に向き直ると、今度はつかつかと近づく。がしっと肩を掴んだが、彼は強い目で睨みつけて来た。
「そんなに別れたいんなら、いますぐ別れてもいいんだぜ…?」
そう低く告げた。すると、彼は目を大きく見開いた後、不意にきゅっと泣きそうな顔をした。

そのままぱっと顔を伏せてしまった彼に、はっとした。
解っていたのに、売り言葉に買い言葉となり、また、言い過ぎてしまったことに気づく。
いくつになっても大人になれない自分に、内心舌打ちしたい気持ちになる。
そのまま重い沈黙が落ちる。だけれど、何と声をかけていいのかも解らない。
彼とは合わないのだろうかとさえ考える。彼はもしかして、自分をもう好きじゃないのだろうかとも。

すると不意に、彼がぽつりと呟いた。

「…俺のこと、好きって言って」

消え入りそうに呟いたその声に、どきりとする。
それは、泣いているような声だった。

途端、胸が痛くなり、腕を伸ばすとぎゅっと彼を胸に抱きしめた。
彼は一瞬びくりと体を固くしたが、すぐにもぞもぞと身じろいで、肩口に顔を埋める。そしておずおずと背中に手を回した。
彼が額をくっつけている、肩のあたりが、じわりと濡れていくのが解った。

暫くして、漸く顔を上げた彼の頬を撫でると、軽く口づける。
数度宥めるように触れて、濡れた目元に口づけ、少し離れて間近で見つめ合う。
彼の顔は涙にぐしゃぐしゃに濡れていて、お世辞にもかわいいとは言えない様子だったけど、それでも誰より愛しいと思った。
よしよしと頭を撫でると、彼がまたぼとぼとと涙をこぼした。拭きもしないでじっとこちらを真っ直ぐ見詰める。
「…マルコ、好き。嫌いなんて言わないで」
抱きよせて髪に口づける。
素直じゃない分、いつだって素直になった彼にはかなわない。
「…好きだよい」
耳元で低くそう告げると、彼がぐしゃぐしゃの顔のまま、明るく笑った。